こころに響く方丈記を読んでみた
土日を利用して、こころに響く方丈記 木村耕一 1万年堂出版 という本を手にとってみた。
方丈記というと学生時代の古文の授業(個人的には古文というと高校時代の担任の先生や代ゼミの土屋先生や中里先生が思い浮かぶのだが・・・)で結構読んだ記憶があったこともあり、興味深く読めた。
本書は、鴨長明の方丈記の著者の意訳と現地ルポ、長明さんを現代に蘇らせて(笑)の”弾き語り”、巻末の原文からなる書物。元々の方丈記もそれほど長いものではないし、写真やイラストが多いこともあり、すーっと読めてしまったが、初夏の今の爽やかな夜風の中で読むのにはちょうどいい、タイトルそのまま心に沁みる本だった(すっーと読めてっころに入ってくるのは、長明の語り部としての有能さによるところもある様だ。)。
本書の冒頭にも関連するのだが、2011年の東日本大震災(今でも頑丈なビルが軋む音を思い出す。)とそれに続く原発事故などを経験した後で再読したから、というのもあるかもしれないし、自分がそれなりの年齢になってきて、未来を見据えるだけでなく、死も少しは身近に感じられるようになってきているというのも、心に沁みた理由なのかもしれない。
本書で一番心に残ったのは、方丈記の代名詞とも言える“無常”についてその意味をどうとらえるか、という部分。この部分はちょっとネタバレ。
無常という事が本当の幸せとどう関係するのか、本書のクライマックスとも思えるこの部分は自分的には色々考えさせられる部分だった。人生を前向きに過ごすために読んで良かったと思った。
次に印象に残ったのは、終わり方の部分。
世をのがれて山林にまじわるは、心をおさめて道をおこなわんとなり。しかるを汝、姿は聖人(ひじり)にて、心は濁りに染めり。栖(すみか)はすなわち浄名居士のあとをけがせりといえども、たもつところは、わずかに周利槃特が行いだにおよばず。・・・
といったように仏道を極められていないことを嘆いて終わっている、というのは初めて知ったので新鮮だった。この後の鴨長明の人生ってどうだったのだろう、というのがちょっと気になった。。。
本書はイラストや写真、文体の影響もあって力まずにすーっと方丈記の世界の中に入り、その中で、人生について色々考えさせれくれる、なかなかいい本。若い人の方丈記の入門書としても使えそうに思う。折に触れて読み返してゆきたいと思う。
本日の一文 P105
・・・だから、儚い命、短い人生を、浴や怒り、愚痴のために、振り回されたくはないのです。
家や財産、名誉や地位が、多いとか、少ないとか、そんなことにとらわれずに、心から喜べる幸せ、安心を求めていきたいのです。
- 木村耕一
- 1万年堂出版
- 円
(参考)著者のブログ記事
『方丈記』の著者・鴨長明は、一流のミュージシャンだった - 木村耕一BLOG
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